
愛国心について書くのにこんなに勇気がいるのはなんでなんだろうか?
いざ書き始めてみると少し緊張する。
ワールドカップの試合開始前に国歌が流れる。現地スタジアムへ行っているサポーターたちの多くは歌う。テレビでそれを何の気なしに観てる私。そんな時にふと愛国心ってなんだろうなって考えた。国際試合の中での国歌って少しラフなイメージが個人的にある。当たり前に流れて、当たり前に歌う。それだけ。試合前。表彰式とかで。
でもなぜ日本国内ではなんとなく歌いづらい風潮があるのだろうか?いつからこうなってしまったのだろうか?不思議。私自身ごく一般的な(偏りが特にない思想の)家庭で育ち、学校の式でも普通に国歌を歌っていた。
正直、小さい頃はなんてつまらない曲なんだろうって思っていた。外国のような陽気で派手な曲と君が代は大きく違う。でも歳を重ねるごとに君が代って素敵な曲だなって思うようになってきた。聴いていると落ち着く。音階が日本ならではだからか?お正月期間中のテレビCMのBGMっぽいから?雅楽っぽい?(音楽に精通しているわけではない素人の独り言です)
国際試合中継では高まる熱さの中に一旦冷静さを取り戻すような気持ちになる。クールダウン的な。落ち着いた曲ではあるけどどこか厳か。作詞者が「詠み人知らず」なのもなんか良い(語彙力…)
話がいろいろな方向へ飛び散っているが一度前提の話をすると私の政治的スタンスは右左とか特に偏った思想がないほうだと自分では思っている。
ここで私の日常とこれまでの振り返る
・小さい頃に「悪いことするとお天道様見てるよ!バチ当たるよ!」と母に叱られる
・米粒を残すと目が潰れると父に叱られた。それから一粒残さず綺麗に平らげる(「吐いても食え、残すな」と軽い脅し付き)
・寺社仏閣でふざけたらまずい(=お天道様。ご先祖様もろもろの神様、千と千尋状態。だからバチあたるの怖い)
・近所の神社内で犬の散歩をさせてる時に愛犬が💩したら片付けて「この前は汚してすみません」って別日に改めてお賽銭しに行く。
・梅酒を漬けたり桜餅を食べたり四季を感じる食に関するイベント大好き
・趣味で外国語(🇬🇧🇪🇸語)を学んでいるのだがその時に日本語との違いが面白く感じる。日本語ってなんて面倒くさい言語なんだろう、それと同時になんて美しい言語なんだろうと、日本語の癖みたいなものを知る。(難しい言語だからこそ日本語を学ぶ外国人ってすごいな〜と思う)
・日本犬保存協会所属であるブリーダーさんから愛犬をお迎えした(天然記念物である日本犬のブリードや規定についてめちゃくちゃ厳格。洋犬も可愛いけど日本犬が好きだから)
こんなふうに、ごく普通な(?)生き方だと自分では思うけど、そもそも愛国心って生活に根ざしていて自然とやっている行いとか考え方や愛着だと思ってるんだよなぁ。昨今は愛国心の定義だったり対立を煽ったり…あらゆる方向に行きがちなだけで。
てかこれも自分では普通だと思ってるけどどうなんだろうか?書いていたらアインシュタインが『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない』って言葉思い出した。また話逸れちゃうからこれ以上広げないでおこう〜
元の話に戻すと、ネット上での右左(はたまた真ん中あたり)の様々な政治的スタンスの人の投稿(情報)を見る機会が多過ぎることから判断が難しくなりどうも考えすぎてしまう。正直、皇族の継承問題とか分からない(話の規模が大き過ぎて自分のスタンスを決めかねている、でもなんだろうな…ただただ愛子様が幸せに過ごせますように。と思うのはおかしいことなのでしょうか?)。
長々と書いたけど、一つだけはっきりと言えることは、私は派手に愛国心を表現したり排外主義のようなことはしたくない。でもこれまでと変わらず日本という国がずっと続きますように…とぼんやり思ったりはする。タイトルはあくまでも私のスタンス。
かと言って自分と意見の違う人を改心させようとしたり攻撃したりはしない。それはその人がなぜ今の思想を持つようになったのかを知りたいし、理由があるのかもしれないから。知りたいって思うこと自体悪いことではないと思うから。
そんなことから愛国心っていろいろな形があるよな〜と思った話でした。
ブラジル戦楽しみ📺🏃♀️💨
応援するよ〜!!⚽️
